おはようございます。
16年前のプラハ・ウィーンの旅行記にお付き合いいただきありがとうございます。
こちらから見られた方、もし時間が許せば【その1】から見ていただけると嬉しいです。
2004年9月23日、いよいよウィーンから日本へ帰国の日です。
この日は朝7時には朝食会場にいました。
空港までは自力で行かないといけないのと乗り換えも必要なので、今日も早め行動を心がけます。
ここからトラム40A、地下鉄U3⇒U2と乗り継ぎウィーンミッテ駅まで行き、近郊列車のSバーンへ乗り継ぎます。
ウィーンミッテ駅で切符を買わないといけないのに、電車を見つけてしまいました。
ホームで多分、『空港行きはこれに乗れ!!』とドイツ語で叫んでいる駅員さんがいたので思わず周りの人につられて、ホームにいた列車に飛び乗りました。
しかし、私はウィーン市内の乗り放題のチケットは持っているものの、これは空港までは有効ではありません。
日本のJRだと切符を買う時間がない場合、とりあえず乗って電車内でチケットを買うことも可能ですが、ヨーロッパでは通用しません。
目的地までの切符を持っていない場合は即罰金です。
このままではまずい・・・💦
Sバーンはローカル列車なので途中いくつかの駅に停まります。
ウィーン市内乗り放題切符の最終地点であるSchwechat駅で一旦降車しました。
そして空港までのチケットを再度買うことに。
まだ時間に余裕はあるので大丈夫でしょう。
シュベヒャート駅は空港には近いけれども、小さな駅なのでいくつかの通過列車を経て、30分後くらいに来た次の列車に乗り、そこから空港まで無事たどり着きました。
上にある掲示板にドイツ語が表示されていたのですが、意味が分からなくて不安だったので近くにいるビジネスマンに尋ねたところ通過列車とのことで、2つくらい通過列車を見送りました。
シュベヒャート駅から空港までの間に検札もありまして、途中下車して切符を買っておいて本当に良かったと思いました。
多分罰金は当時で3000~4000円だったはず。
チケット自体は1.5€なので本当に高額ですよね。危なかった~💦
日本の感覚で適当に乗ったら失敗するところだったので肝を冷やしました。
そんなこんなでようやくウィーンシュベヒャート空港へ到着。
受付時間にはぎりぎり間に合いましたが、余裕があるほどではなかったです。
なので、搭乗飛行機の呼び出しアナウンスで周りの列を飛ばして先に入れてもらいました。
焦りすぎていたので、このあたりの写真は一切ありません💧
フランクフルトまでの飛行機はオーストリア航空との共同運航便で客室乗務員は真っ赤な制服でした。
ルフトハンザもオーストリア航空もスターアライアンスメンバーなんですね。
オーストリア航空の機体も赤を基調としています。
公式より画像をお借りしました。
フランクフルト行きの定刻は10:55ですがなかなか出発しません。
乗り換えは間に合うのか少し不安になりました。
だいぶ遅れて飛びまして、フランクフルトに着いたのは13:30です。
次の関空への出発便の定刻は13:30なので、間に合わないんじゃないかと思いましたが
『次はB42ゲート。急いで!!』
と、地上係員の指示があり走りました。
AゲートからBゲートへの移動だったのでそんなに近くもなくて疲れました。
このころ20代だったから走るのも全然余裕だけど、今だとそんなに長時間走れないかもしれません。
他にも何名か同じ飛行機に乗る人がいて、関空行きは駐機場に待っていてくれました。
なんとか乗り込むことができ、間に合いました。
乗れたから良かったものの一人だし不安でしたね。
まぁ同じルフトハンザ航空なので、いざとなったら航空会社が振替便を手配してくれるのでしょうが、焦った~💦
ま、でも帰りの飛行機に乗ってしまえば半分日本に着いたようなものです。
関空までは約10時間。
残ったユーロで機内販売も利用して使い切りました。
翌7:30に無事関西国際空港に到着。
本日はここまで。
明日総括と補足をしたいと思います。
お読みいただきありがとうございます。
それでは。
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